人、モノ、サービス、金の価値
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先週、娘が友達のシールを拾って持って帰って来たという内容の記事の中で「人のモノを取ってはダメ」「モノの大切さと価値」「お金を手に入れる事はどういうことか」を学んで欲しいと書いた。
しかし下記のnyaaatさんの記事を読んで、私達親自身もしっかりと「価値」について考える必要があるなと思う次第だ。
内容としては、
チェーン店の喫茶店にモーニングメニューの時間帯に行った方が、店のサービス(新聞の提供の仕方)に対して不満を述べており、「お客様は神様だから、どんな要求でも受け入れろ」と主張している(本人は無茶な要求をしていると認識していないように思われる)。さらに自分の要求に対して「想像力を働かせて対応しろ」との主張をされているとの事のようだ。
それに対して、nyaaatさんは、
喫茶店の主なサービスは「飲食」である。
居心地のよさ等の「付加価値」をつけることで、他の店と差別化している。新聞の提供は、居心地のよさを構成する「付加価値」に入るかもしれないが、喫茶店に必須のサービスではない。
実際、カフェ等では新聞がない店の方が多く、新聞は「よかったら読んでくださいね」という、店の「好意」の域に入る。
と綴られており、さらに新聞が上部と中部しかステープラーでとめられていない事に対して不満を募らせている主張者の言を受けて、
要求は、「上部・中部・下部の3点をとめる」「新聞をめくった時に文字が隠れないような浅さで」「どのくらいの浅さがいいかは、『想像力』を働かせろ」と細かい。
420円のメニューがメインの店で、860円のバイトに、サービス以外の部分での「想像力」を要求する。
「想像力」が必要なサービスを求めるなら、「想像力」が値段に含まれている店に行き、きちんと対価を支払うべきではないか。
と主張されている。またこのようにも述べられている。
あるホテルでは、ステープラーの針の上にはテープが貼ってあり、読む人が手を痛めない工夫がされていると言う。
そのホテルのコーヒーは1,190円だ。
ホテルのコーヒーはなぜ高いのか。
これには「地代等が高いから」「それでも買う人がいるから(需要と供給)」など複数の理由があるが、「1,190円に相当する価値を提供しているから」も挙げられる。いい豆を使った美味しいコーヒーが、適温かつ温められたカップで、美人ウェイトレスの笑顔とともにサーブされる。暑くも寒くもうるさくもない快適なホテルのロビーで、「高級ホテルのロビーでコーヒーを飲む俺」という満足感も得られる。新聞はステープラーでとめられ、針の上にはテープ、不快な思いをすることもない。
「想像力を働かせて、ステープラーどめされた新聞」は、「コーヒー1,190円のパッケージ」には入っているが、「モーニング420円のパッケージ」では想定すらされていない。それが値段の差だ。
さらに言えば、新聞が読みたいなら喫茶店の「好意」に期待せず、新聞を買うことで新聞社に情報への対価を支払うべきなのだ。
金は出さないが口は出す、これではクレーマーと言われても仕方ない。
すべての人、モノ、サービスには、「価値」が存在しており、その「価値」に対して、私達は適当であると考えた「金額」を支払っているという事実をついつい忘れてしまうエピソードだ。また「価値」に対して支払った対価以上を要求するってのは良くある話。
また、その要求をするという事は、
人、モノ、サービスの「価値」を分かってやってるのかそうでないのか
要求をすべき時・状況なのか
という事を、他の人に、それを行っている人の「価値」を計られる。
娘の一件で分かったつもりになっていたが、自分自身が娘に伝える前に、しっかりと「価値」に対して支払う「お金の意味」を考える必要があるなと思う次第だ。また、自分達自身の「価値を下げる」行為をしない、させないようにしていきたいものだ。